2018年12月15日

泣く子

現代の全ての病巣を25字で表現する
魂に突き刺さる言葉です。
泣く子をはじめ
困っているひとを見て見ぬふりをし
排除まで持って行こうとする大人。
更にそれを真似する子供。
(自らの)経済の第一主義
経済の為なら何をやっても許されると
勘違いした考え方を全て改めるべき
ギリギリの所まで来てしまったこの国です。

松居和さんは米国で一世を風靡した稀代の尺八奏者です。
IAMでご一緒させていただきました。

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以下は和さんによる解説です。
是非読んでみて下さい。

朝日新聞、12月15日の朝刊「折々のことば」に著書「なぜわたしたちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)に書いた言葉が紹介されました。
そうだ。これが原点だった、いい言葉を指摘してくれた、と思いました。哲学者、鷲田清一さんに、感謝です。ありがとうございます。

「逝きし世の面影」(渡辺京二著:平凡社)を読んで書いた言葉です。150年前に日本に来た欧米人がこの国の個性に驚くのです。時空を越えて、私たちに「本当の日本のこと」を伝えようとするのです。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838〜1925)』

 玩具を売っているお店が世界一多い国、大人たちも子どもと一緒に遊ぶ国。
 日本の子どもは父親の肩車を降りない。子どもの五人に四人は赤ん坊を背負い、江戸ほど赤ん坊の泣き声がしない街はない。

 赤ん坊を泣かせないことで、人間と人間社会が育っていた。赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」とごく自然に思う。それが、人間が調和し、安心して暮らしていく原点かもしれません。そうすれば、大人でも子どもでも、老人でも青年でも、人間が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思うようになる。
 最近は親が、泣いている自分の赤ん坊を見て、勝手に泣いていると思ったり、迷惑だと感じてしまったりする。抱き上げれば泣きやむことを知っているのであれば、泣いているのは自分の責任。よく考えてみれば、「産んだ責任」まですぐにたどりつく。その責任を感じたとき、人間は本来、自分の価値に気づくのだと思います。
 そうやって何万年も生きてきた。親が泣いている自分の子どもに責任を感じなくなった瞬間に、人間社会が長い間保ちつづけていた「絆」が切れてしまうのです。
 赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の「責任」です。
posted by aqua at 11:21| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すべてはこの言葉どおりです。
泣いている赤ん坊、道端で転んだ子、フロアーでドリンクをひっくり返してしまった子。気がついたら、思うより先に体が動くような、そんな大人が確かに減ってきました。
子供は大人の言うことを聞かないけれど、することをする・・・。 私たちのすることを小さな目が見ているんですね。
私も反省することたくさんです。
Posted by 旧姓 藤澤 at 2018年12月16日 06:14
自宅の新聞でも確認しました。
今の世の中や政治に問いかける
とても重みのある言葉ですね。
観点がズレてるかもしれませんが
昔は 自然と気遣ってくれる方が多かったけれど 最近は 見てみないふりどころか
泣いてる幼子に向かって逆ギレする人などを見かけることもあります。

保育園や幼稚園が建設されるとなると
周辺住民が一方的に 反対してきたり
いわゆる 自分さえよければという
大人が増えてしまったような。
子供が成長してきた今 気がつかせて
下さる一言です。










Posted by リラックマ at 2018年12月16日 19:56
児童相談所、保育園、福祉施設の建設拒否等・・・何故そのような社会になったのでしょう・・・。子どもが泣けばどうしたんだろう?より先に、煩い雑音に聞こえるなんて、悲しく空しいです。
Posted by けい at 2018年12月20日 15:52
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