2019年01月31日

恩師の訃報

中学高校で本当にお世話になった先生が亡くなられたと
訃報が来ました。
一昨日くらいに先生との思い出を話していたばかりでした。

中学2年生の時から担任になってくれた先生でした。
僕の学校は「クラスの日」という行事があって、、
それは2日間クラス単位で好きな事を企画していい日で。
僕のクラスは夜の東海汽船で大島へ行って
更に1泊まって帰って来るというかなり大胆な企画を提案。

夜行の船に乗るのは大丈夫か、、とか問題になりかけたのを
いいことに、先生下見は必須です、、と理由をつけて
先生と企画したグループみんなで夏休み、大島に事前視察
要は夏休み旅行に行ったりしました。
責任問題など、今の教育現場ではきっと許されない事かも
しれませんが、、、
大島での色々なエピソードもう本当についこの間、、の感じで。
先生のおかげで学校生活の豊かさに今でも感謝です。

先生とはいえ僕達の中学1年の時に新任でおられれたという事は
一回り、12歳しか違わず、、、
近い視点から色々な事を教えてくださいました。
16歳の時に初めてのリサイタルをホールでやった時
本当に盛り上げ下さり、、これもまた感謝しきれません。
結婚された時、お祝いの歌を作ってレコードにしてプレゼントしたら
あとでおうちにお邪魔した時
「塩入ありがとうな。バリトンの人が歌ってくれたのか?」
折角プロの女性に歌ってもらったのに、先生は33回転で
聴いていたのでした。

そんな僕らにとっては頼れるけれどおっちょこちょいな先生が
後に超出世して、男子部小中高の校長、更に桐朋学園理事長まで
なられたのです。

これから恩返しをしなければ、、という時に
本当に本当に寂しい限りです。
ご冥福をお祈りします。小柳先生。


posted by aqua at 00:01| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんとも残念なことで、なんとも温かな思い出です。
小柳先生の御人格とお人柄が大変よく想像できます。
しばらくは、これまでに増して、塩入さんの心の中で先生を偲ぶ思いが強く続きますね。
Posted by 旧姓 藤澤 at 2019年01月31日 06:03
小柳先生は多感な年代の塩入さん達教え子に、かけがえのない思い出と真の生きる力を残してくださったのだと思います。
哀しいけれど温かな気持ちになりました。
レコード盤の回転数・・懐かしいです。
ひと回り違いということは本当にまだまだこれから・・というお歳でしたね。
塩入さんの思いはきっと先生に届いているに違いないです。
Posted by Marie at 2019年01月31日 20:56
塩入さん、こんばんは。
小柳先生、まだお若くして亡くなられたのですね。
塩入さんの驚きと哀しみをお察しします。
多感な少年〜青年時代を小柳先生は、温かく大きな懐で見守ってくださっていたのですね。
それにしましても、何かを計画する・創る・構成する・実践するという才能が、既にその当時の「塩入少年〜青年」からわき出ていたのですね。
小柳先生も、そのような「塩入少年〜青年」を頼もしく思っていらっしゃってたことと思います。
塩入さんがお元気でますますご活躍されるお姿が、小柳先生へのご恩返しとして届く筈ですよ。
Posted by 巻き舌 at 2019年01月31日 21:12
小柳敏志先生、国語の先生ですよね。
私の小学校の担任だった大好きな先生が、やはり国語の先生で小柳先生と同い歳です。
まだ70代…師との早いお別れは本当に悲しいですね。
いくつになっても、恩師の前では当時の子どもに戻ってしまう…親に次ぐ大きな存在だと思います。
そして、若さゆえの思い切り、大胆さ、熱心さは、子どもたちにとってはたまらなく嬉しくて、学校生活を輝かせてくれますね。
素敵な先生でしたね。ご冥福をお祈り致します。
Posted by mari at 2019年02月01日 00:12
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