何度もの脳梗塞と闘いながらのステージです。
少しでも役に立てるよう気を引き締めて頑張ります。
特に、、オープニングの音楽とラスト曲のアレンジをしています。
オープニングは万里の長城でのコンサートの為に
特別に作った、中国と日本の音楽のコラボver.で。
22のまだ学生だった時に、、、
秀樹さん主演のミュージカルの音楽制作側(東宝ミュージカル)だった僕を
秀樹バンドのレギュラーの方を外してまでピアニストとして
抜擢してくれた秀樹さん。いくら感謝してもしきれません。
それから秀樹バンドに入れていただき、数々の海外公演にも
同行し、、ギターの藤丸さんも復帰したタイミングでまた1994年からは
今迄ずっと一緒にやらせて戴いて、、、
秀樹さんバンドは打ち込みも使わず全ナマ。
僕はピアノ弾きながら、超絶早いブラスのパッセージを
シンセで弾いてるし、、
ステージの一糸の乱れも無いストレートさはすごいです。
この頃、秀樹さんに湧き上がるアイデア全てを
バンドで具現化してたわけで、、
秀樹さんの統率力はいま考えてもとんでもないものでした。
リハーサルの時、1秒の隙もなく音楽のことを考えている様は
当時横にいて驚愕ですらありました。
嵐のように思いついた事を伝えてくれるので、僕らもみんな
常に戦闘態勢を取ってないと対応不可能。
あるコンサートの日、前日録音したらしい新曲の音源を
「塩入くん、いいの出来たんだよ、、聞いてみる?
てっちゃんかけてみて、、、」
と、いきなりステージのリハーサル前大音響で鳴らし始め、、
あ、これはもしかしてやばい、、この後やるって言うかも、、と
長年の勘で僕は密かにコードを聞きながらメモ。
聞き終わると当たり前のように「やってみる?ちょっと弾いて」
譜面もない訳だし別にその時弾けなくても
怒られる訳でもクビになるわけでも無いんだろうけど
その日のコンサートのテンションを上げて行くには
必要なコト、、だったんじゃないかな、、と僅かに思う訳です。
そして、、この頃のギタリストは泣く子も黙る芳野藤丸さん。
当時バンドに復帰させてもらったら、バンドの景色が全然違ってて
スタジオミュージシャンばかり。
ショーグンの藤丸さんを筆頭にベースは岡沢茂さん
ドラムはスペクトラムやAB'sの岡本敦夫さん
パーカッションはキムチさん、、、
とんでもないメンバーになってて、ゾクゾクの連続でした。
藤丸さんなんてリハーサル最初から譜面みて無いし、、、
どーして見ないで出来るんですかと、、、聞いてみると
「次にどんなコードになるかなんて雰囲気でわかるでしょ、、」
うーーーん
バッキングも余りにも美しく超絶凄いので
一緒にサンリオピューロランドの音楽を作ってる頃、歩きながら
「藤丸さん、ギターほんとにうまいですね、、」と
当たり前すぎることを口にしてしまい、、、
そーしたら大層喜んでくれて、、
「やー嬉しいなぁ、このごろそういう風に褒めてくれる人いないんだよねぇ」
、、、今更そんな事言う人そりゃいないですよね、、、
すみません。言わずにはおれなかったんです。
こんな感じで凄まじく思い出がいっぱいの秀樹さんチーム。
コンサートは2日、中野サンプラザです。
今度の